
09年04月19日
編集権とは
CEOブログ
ランドスケイプとかマジックシアター六本木とかストロベリィとかで、 新聞、雑誌、TVから取材を受けて、じき遅れて、その結果を掲載された人なら、たぶん理解できるでしょうね。
まるで 一度でもそういう経験のない、単なる読者には分からないだろうね。
たとえば取材で60分話して、写真を撮られて、質問されて、感謝されて、それで連絡もなしに数日たって、結果が一コマ掲載か数分放映ならまだ良かったほう、、たいていは不本意な題名と、文脈の一部だけを捉えて、訴えたい点の反対の表現にもなる。 こういうのは20世紀なレガシーでありえない、でも変わらない悲しいモデル。
そういう自称取材とは違って、もろ営業バリバリなのも悲しいが、、 当然だけどパブリシティ記事とか 人事採用ページとかはまったく違う。 その場合の編集権は会社側(=カネを払う側)にあるのだから。
媒体には編集権という 1.取捨選択する自由も、2.要約や抜粋する権利も、場合によって3.文脈を切り離してある語句だけ引用したり、4.タイトルを決める・・ことができる。
よく記者会見でカメラマンが連続モードで撮りまくっている。 あれはカメラマンが下手なせいでなくて、娘か息子の運動会の写真のクセでもない。
首相か芸能人か経営者でも、上を見上げている角度、横を向いた冷たい視線、うつむき加減の後悔モード、通常の角度、笑顔、真剣とか・・今後または将来に不祥事・おめでた・記念・微妙とかの事件が発生した日に備えてにストックしているのだ。
小説でも論文でもエッセイでも、題名をつけるのは編集者だ。 よほどの著名作家でないかぎり・・ ましてや雑誌の記事名とか区切りなどは全て編集者による。 全国新聞などはもっと徹底したシステムが組織として構築されている。
おかしな表題(例えば「何々屋はなぜ××なのか」「××する力」とかあれらは著者が悪いのではない)雑誌での小見出し、副題、添付の写真(著者近影は選択権あるらしい)などはどれも筆者の責任ではない。編集者の問題なんだ。
その点で悩ましいのが、会社サイトの掲示板、社員ブログ、コメントなどだろう。
私が運営している店舗とか会社のサイトにも、公開掲示板とか、出演者や社員、従業員ブログがいくつかある。
先週、ある喫茶店の掲示板のルールを変えたのだが、すると急に書き込みが減少した。あまりにKYな掲載が多いので制約しようとしたが反作用が大きすぎた。
限定的で小規模とはいえ、ランドスケイプでは経験年数は長い。社内グループウェアの運営を15年以上してる会社は大企業を除けば少ないと思う。 ここでも日報の感想欄とかフォーラムという(mixiのコミュニティのようなもの)などでも参加と閲覧はするけど、投稿するのは「自分を勘違いしてて中途半端な能力しかない人」だけになる。
放置すれば記載(レスなどコンテンツ)が増えるのだが、つい「管理者」か権力者の余計な一言でクモの巣を散らすように蒸発する。 そうなると、次に書く人は、KYか、勘違い類か、DQNばかり。になる
本当に書いてほしい人は、誤解されることを恐れて引いてしまう。 これを臆病で繊細で傍観者と言うのはたやすい。
書いて欲しくない人だし、内容もつまらない人、勇気なのか、無神経なのか、思い入れもないのだろうか。
こういう指摘すればするほど、そう、この文章全体の意味の分かる人は、理解できるだろう。ね
そう、このランドスケイプのブログに、本当はぜひ書いて欲しいのは「君」なのだが、 ごめんねそれはトンデモ君じゃない。
上記の日報は何度遂行しても「勘違いな人」を排除して「書いて欲しい人」への誘導の仕組みを試行錯誤するうちにKYしか来ない。
そのnemawashiの定義をつくらないと。。


