BLOG BLOG 嫌消費世代の苦悩

2010年06月11日

 図書館で予約待ちだったため、今更ながら『「嫌消費」世代の研究』(松田久一)を読みました。以下、消費における標準モデルの喪失という論点を過剰解釈しながら、まとめてみます。

 「クルマ買うなんてバカじゃないの?」の帯に表現されているように、本書では、自動車も欲しくない、AV機器にも興味がない、海外旅行にも行きたがらないバブル後世代(1979-83年生まれ)の消費のあり方を「嫌消費」と名付けています。

 まず前提として、この嫌消費と低所得(階層)との関連性が弱いということが指摘されています。
嫌消費は非正規雇用労働など低所得者層の増大と結び付けられて考えられがちですが、収入が低いほど嫌消費であるといった収入効果はさほど見られず、収入(階層)の影響よりも世代の影響の方が強いといいます。つまり、収入が増えても消費を増やさない世代的傾向のことを嫌消費と呼んでいるのです。

 最も興味深かったのは、嫌消費世代の消費者が必ずしも消費を通じての社会的承認欲求が弱いわけではないという指摘です。嫌消費世代の性向として、他人が欲しがっているものが欲しいというバンドワゴン消費の意識や他人に羨ましがられたいといった意識が強いということが指摘されています。それでは、なぜ承認欲求が強いのにもかかわらず、消費マインドが低いのでしょうか。

 それは、社会的承認のロールモデルが失効したためです。卑近な言い方をすれば、「良い学校・良い大学・良い会社=幸せ」という神話が崩壊したのと同様に、「自動車を持っていればモテる」や「ブランド品を持っていればモテる」といった標準化された消費モデルが意味をなさなくなったためです。それにもかかわらず、このロールモデルに固執して、(他人に認められようと)自動車を持ってしまう人、ブランド品を持ってしまう人はイタイ人になります。これが「クルマ買うなんてバカじゃないの?」という感性です。

 ここまではさほど目新しい議論ではありません。分衆の誕生や高度消費社会といった用語で散々紹介されてきた議論で、社会全体に共有されていた「こうすればモテる」といった神話が瓦解すると、他人がどうしてその商品を買うのかが分からなくなり、また、自分が何を買えば他人から承認されるのかも分からなくなるという話です。
 裏を返せば、バブル後世代の苦悩は、他人が欲しがっているものが欲しいという承認欲求が強いにもかかわらず、「自動車を持っていればモテる」といったような、こうすれば承認されるという神話に寄りかかることが出来ないことにあります。

 それでは、バブル後世代は、どうやって社会的承認欲求(他人に羨ましがられたい)とそのための方法の失効(クルマ買うなんてバカじゃないの?)との間の折り合いをつけているのでしょうか。(本書ではそれほど強く強調されているわけではありませんが)、ここで「自分の預貯金が増えていくことが単純にうれしい」という価値意識に着目してみたいと思います。

 貨幣の特徴のひとつは、自分の持っている1万円札は他の誰もが欲しがっているだろうし、このことは当面変わらないだろうという一般的受領信頼にあります。言い換えれば、どんな商品を持っていれば承認されるかが不透明になった時代において、唯一、共通して皆が欲しがるのが貨幣だといえないでしょうか。

 そのように考えると、バブル後世代(嫌消費世代)が消費ではなく貯蓄にまわすのは、将来の不透明感からの貯蓄やお金が好きだから消費が抑制されると考えるべきではなく、貨幣の保有によって社会的承認を取り付けようとしていると考えられるのではないでしょうか。

(担当:天野)

追記:
月1回、フットサルをやってます。
システム本部の3人(左)と営業本部リーダーYさんの華麗なる?ドリブル(右)

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