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2010年09月03日

少子・高齢化という幻想 
-古田隆彦著『日本人はどこまで減るか』(幻冬舎)より-

人口問題を論じる書籍がいろいろな視点から多く発刊され、読めば読むほど、解らなくなるような感じがする今日この頃ですが、先日、ちょっと面白い本をみつけました。

この『日本人はどこまで減るか』という本は、日本の人口変化を「人口容量」という観点から論じているため論述は、石器時代から現代までと幅広いのですが、冒頭で、いま世の中に人口問題として喧伝されている多くのメッセージが誤りだと主張しています。いくつかを抜粋してみます。

・少子・高齢化で人口が減る
・子どもが減り、老人が増える
・出生率が上がればベビーが増える
・消費人口が減って消費市場が減少する
・900年後に日本人は絶滅する

これら、すべて誤りだそうです。最後の絶滅うんぬんは、さすがにそれは違うだろう。と感じられる方も多いのではと思うのですが、その他の4項目については、アレ?と思われる人も多いのではないでしょうか。

まず、上の2項目を説明します。少子高齢化は、少子といえど、人が産まれているのなら、それは人口増の要素。高齢化も、昔なら多くの人が死亡していた年代でも、生存できる率が上がっているという意味なので、これも人口増につながる話。人口の増減は、出生の数と死亡の数のプラスマイナスなのだから、自然の推移で、人口が減る理由は、少産・多死以外ないのだからこれは誤り。

また、子どもが減り、老人が増える。という話も、ほぼ50年前に官庁が決めた、老人は65歳以上、子どもは14歳までで、生産人口は15~64歳という定義なら、そういう数字が出るというだけの話で、高校進学率60%以下、平均寿命が70歳ほどであったその時代ならこの定義が妥当でも、現代の基準でいくとこの定義を放置していることが誤りと考えるべきで、たとえば生産人口を25~74歳と定義すると、2030年まで、24歳以下の子どもは増加。75歳以上の老人は減少が続く。これに合わせて社会制度を変えれば、いま"少子・高齢化"で"問題とされている問題"は、無くなってしまうよと。

(さすがに10年分を一気に改変という話でなく2年おきに1歳ずつ上げるという試算がされています。ちなみに最近の統計では、65歳まで生存した人の平均寿命は女性90歳、男性84歳だそうです)

この主張ってどうでしょう? 完全なコトバ遊び。ふざけた詭弁と思われるかたもいると思います。(ついさっき、「あまりの馬鹿らしさに3分の1ほど読んで駅のホームのゴミ箱に捨てた」というネットの書き込みを見つけました)

が、ワタシ的には、絶賛なのです。国レベルの人口構成を大きく変える手段というと、海外からの移民を大幅に受け入れるという手もあります。日本が、多国籍・多民族で国を発展させてきた米国のようにこれをやれれば、それはそれで素晴らしいことだと思うのですが、実現性は・・・なのではないでしょうか。

この生産人口を10年上げよう。という主張は、その対象となる人たちにとっては、あまり耳障りのよくないものだと思います。かつ、今の日本の経済や政治の中枢にいる人たちってだいたいこういう年代のようで、こっちの実現性も・・・ではあるのですが、今の社会の65歳からの生き方を考えると、蓄えや年金額の多い人は、優雅に生きていけるけれども、そうでない人は、ただ慎ましやかに生きていくしかない。という選択の幅の狭さが、その年齢の人達にも、消費という経済活動を小さくする。という意味で、その年代以外の人達にも不幸を産んでいるような気がしてならないのです。世の中が大きく変わっているのなら、その中で生きる我々も、意識や思考を変えた方が、みんなで幸せになれるのではと。

、、あれ、、、、また、とりとめもなく長くなりました。あと1つくらい話を入れるつもりでいましたが、やめます。いつもながら、整理が悪くて申し訳ありません。

この本の著者の古田隆彦という人は、日本の人口問題を長く論じてきた学者さんで、人口が減少する社会で、我々は、どのように思考や発想を転換すべきか。というようなことを、ずいぶんとしつこく論じてきている人なので、この人の著作を、まだ読んだことがない人にはお勧めかと思います。ゴミ箱に捨てちゃう人もいるでしょうが。。。

                                                               (記:古沢)

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(左)渋谷駅前スクランブル交差点 (右)巣鴨商店街・とげ抜き地蔵(高岩寺)入り口付近