BLOG BLOG 『菊とポケモン』

2010年11月19日

今日は、アン・アリスン著『菊とポケモン ~グローバル化する日本の文化力~』について書きます。

1ヶ月ほど前の日経書評欄に、著者のアン・アリスンは、米国を代表する知日派の文化人類学者で、「クール・ジャパン」の誕生と受容の謎を解明するこの書は、現代版の『菊と刀』といっても過言でないだろう。という好意的な紹介が出ていたので、どれどれと読んでみました。

『菊とポケモン』という書名は、日本で200万部以上という大ベストセラーのルース・ベネディクトの『菊と刀』(原書は1946年)に倣っている訳ですが、これは書籍販売上の都合でそうしたもののようで、その記述のスタンスはおおきく異なっています。

『菊と刀』は、第二次大戦の終結に向け、米国戦時情報局の依頼により、米国の学者が敵国である日本を研究したもので、その内容は、日本の文化に敬意を示しているようによめる部分も少なくないとはいえ、つまるところ"日本人ほど不可解な国民はない"という日本人異質論であるのに対し、『菊とポケモン』は、日本発信の文化が、いまグローバルに受容されている理由とプロセスを、解明していくという内容です。ベネディクトは、来日経験なく、膨大な文献と、日本在住経験のある米国人、米国在住の日系人、日本人捕虜らへのインタビューによって研究したのに対し、アリスンは、日本在住経験があるのみでなく、日本のビジネスパーソンの社交についての本を書いた際は、実際に日本でホステスとして働くなど、研究のスタンスも、また文化の固有性に対する基本的な考え方も、違っているようです。

この本で取り上げられている日本発のエンターテイメントは、他国(≒米国)で全面的な支持を得るには至らなかったとする「ゴジラ」「鉄腕アトム」や多大な支持を得た「パワーレンジャー(ゴレンジャー)」「セーラームーン」「たまごっち」「ポケットモンスター」などになっていますが、やさしげな書名と楽しそうな作品名の羅列とは裏腹に、本文は、ちょっとハードというか、学術用語が多用され、かつ一部の用語は、著者自身の解釈によって変形されていたりと、私には、なかなか難解です。

さて、「グローバルな文化を支配している国」というとハリウッド映画やディズニー商品に代表されるアメリカが、長い間、覇権を握ってきた訳ですが、これが揺らぎはじめているという流れの中で、「日本発信の文化」が勢力を拡大している理由を、アリスンは、日本のエンターメント製品(玩具、マンガ、アニメ、ゲーム)が、他の国へ輸出される際に、異国間の文化的差異や受容性の差を吸収するため行われた「ビジネスモデルとマーケティングの構築」という側面と、日本のエンターテイメントが独自に持つ「ファンタジー」という概念で解明をすすめています。

前者のビジネス系の話は、綿密な取材を経た興味深い話が書かれており、日本や世界の玩具・エンターテイメント産業が、社会との関わりの中で、歴史的にどう進展してきたのかなど、面白い知識が得られるのですが、この部分はこの本でないと読めない内容でもないように思えるので、ちょっと乱暴ですが、ここでは省略します。

◆ファンタジー・・・日本のエンターテイメント作品が独自に持つキャラクター、想像世界(観)とその構成・文法。

ここから少し難解な用語が入ります。こんな言葉、避けたいのですが、これをハズして書くのも、また難しい。。。

<多様変容>・・・日本のエンターテイメント作品(プロパティ)は、アイデンティティやジェンダー(性)、あらゆるメディア、テクノロジーを多様変容に取り込むのみでなく、プロパティ自身が変身し、創られたプロパティが継続的に変えられ描き変えられていく。変身するセーラームーンやゴレンジャー。ゲームボーイソフトから始まったポケモンが、モバイル性やインタラクティブや資本主義的なトレーディングなどまでの要素を活用して、さまざまな展開をみせていることなどが、これらの典型のようです。(これら作品の具体的な内容や"世界観"は私にはよくわかりませんが、こういう部分、ディズニー作品は不変ですね。いつも安心できる世界観とノスタルジーがディズニーの価値を支えているように思います)

<テクノ・アニミズム>・・・テクノロジーや機械そのものに個性や、精霊崇拝的な特性を吹き込む。アニミズムとは、 事物には霊魂(アニマ)など霊的なものが遍在し、諸現象はその働きによるとする世界観のことで、万物に神が宿る。といわれてもあまり違和感のない日本人にとっては、"ロボット"や"異質の生き物"である鉄腕アトムやドラえもんやポケモンのようなものが、人間以上に、こころある生命体として、優しい利他的な行動をとり、人間の仲間となるストーリーは、それほど突飛なものとは感じませんし、敗戦という壊滅状態から社会を再構築した日本にとっては、テクノロジーがユートピアに繋がる。という考えが受け入れられやすかったとする(鉄腕アトムは原子力駆動!)のですが、米国や西欧での、神と人間の関係や、テクノロジーへの態度は日本のそれとは違っているのだそうです。

◆なぜ「クール・ジャパン」は世界で受容されているのか?

この本、原題はMILLENNIAL MONSTERS(千年紀のモンスター)となっています。モンスターという言葉の中には、現実と空想世界を自由に往来する日本のエンターテイメント作品のキャラクター達という意味と、この本が書かれた2000年代初頭に多発した社会との関わりの中で、いくらかの問題を持つ"普通の子"が引き起こす「重大な少年犯罪」や、それ以前の「オウム事件」のように理解不能の教義に基づいて凶悪な社会犯罪を引き起こした高い教育を受けた若者達の不可解さを含めています。

さて、「日本のエンターテイメント」が、なぜ世界で受容されているのか?についてです。日本のファンタジーが「クール」であり、「かわいい」、「やさしい」ものとして強い支持を受ける背景には、ただ、異質であり独自の発展をしているからという意味だけでなく、先鋭化し、脱中心化していくグローバル経済・資本主義が、米国・西欧の子供達から、居場所とコミュニケーションの場を奪っていく中で、日本のファンタジーが、彼らが、感じるストレスを解消し、願望をかなえ、時代にどう対応したらよいかを前述の<多様変容><テクノ・アニミズム>とを融合させ指し示しているということが、その理由である。と言っています。

米国・西欧の子供向けエンターテイメントは、ディズニーのように「かわいさ」と「ファンタジー」をノスタルジーから導き出すものであったり、大人になるための教訓を示すものであったり、人形や模型類のように大人の世界のミニチュア版を提供してきた訳ですが、それらは日本の玩具にも、多大な影響を与えてきたものの、日本の歴史的・伝統的な価値観や戦後日本の急激な経済発展とその後の停滞状況の合わせ鏡として産まれてきた「ポケモン」や「セーラームーン」達は、その先の世界を照射しており、このことが世界の子供(や大人)の大きな支持を得ている理由であると言っています。

日本発の"魔法をかけられた商品群"が、伝統的な宗教や学校教育や家庭・社会のコミュニケーションでは救えないフラストレーションに悩み、苦しむ現代人を救っている。というのが、著者のフィールドワークによる結論です。

(この本には、親を殺した少年が、逃亡時のリュックにポケモンカードを詰め込んでいた。という話が出てきますが、著者は、ポケモンへの偏愛と殺人というふたつの激しい感情が、ある環境下で、同時に近接していたと述べるにとどまっています。未成熟で社会的に孤立した彼への最後の救いは"ポケモン"だったのでしょうか)

◆さいご

少し前の日本には、「国立メディア芸術総合センター」という立派な名前で、マンガやアニメ、ゲーム作品を収集展示する施設を作ろう。という構想がありました。が、当時の総理が、べらんめえ調で語っていたことを正とすれば、これの中身は、どうやら、アキバかお台場あたりに、ハリウッドに匹敵する観光名所を作れば、賑わうだろうし、それは国益に適うだろう。という思いつきレベルの話だったようで、土地取得費・建物建築費のみで100億円以上の予算が計上されていたにも関わらず、具体的な収集方針などが見えなかったこのプロジェクトは、<国営マンガ喫茶>なんぞヤメロ。という大きな世論で取りやめになりました。

私自身は、この「クール・ジャパン」として総括されている文化群には、個人的な興味はなく、<国営マンガ喫茶>という批判的な通用語をあっさりと受け入れてきたのですが、この本を読んでみて、いまでは世界中で偉大な芸術作品として認められている、葛飾北斎の浮世絵や北斎漫画群のような例を持ち出すまでもなく、創作時には純粋芸術の枠に入らない娯楽や商業の世界のものの価値は、同時代ではその普遍的な価値を認められず、消失・流出する傾向にあることは確かな訳で、そのようなものを評価し体系化して収集する機能が必要であることは間違いないようです。

では、それを国営でやるか。というと、民意の総体としてでないと動けない組織では、現時点で価値の見えないものに血税を使うことは、難しいでしょうから、海外(特にアメリカ)などで現代芸術系の収集や保管が、飛び抜けた富裕層の個人資産でなされていたり、企業や個人からの幅広い寄付で賄われていて、それが成功を収めているように、このあたりを範とする組織形態を誘発するような社会制度の整備までは、国家として必要なのでは、と思うところです。「クール・ジャパン」の市場規模からして、それくらいのおカネは、どこかに転がっているのではないでしょうか?

                                                       (記:古沢)

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写真)撮影場所は、渋谷の公園通りを登り切った場所にある交差点。たまたまカメラを持っていたのでゲット!しました。

*参考*
A.アリスン『菊とポケモン』(2010,新潮社) 原題は、MILLENNIAL MONSTERS Japanese Toys and The Global Imagination. /2006年
文化庁-国立メディア芸術総合センター(仮称)設立準備委員会
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/kondankaitou/media_art/index.html
国立メディア芸術総合センター(仮称)基本計画(平成21年8月)
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/kondankaitou/media_art/pdf/kihonkeikaku_h21_07.pdf


蛇足:浮世絵に芸術的な価値を認めたのは日本よりヨーロッパの方が先だったようです。以降、浮世絵は、ゴッホやモネなどの西洋絵画に直接的に大きな影響を与えています。ちなみに浮世絵がヨーロッパに伝わったのは、当時、日本から輸出されていた陶器の包装・緩衝材として紙が用いられていたから。という話もあるようです。

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