BLOG BLOG 『昭和45年11月25日』

2010年11月26日

こんにちは、マーケの高木です。

40年前の昨日、19701125日、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて、三島由紀夫が自決しました。割腹した後に楯の会同志森田必勝が介錯しました(森田もその後割腹し、別の同士が介錯)。

私の生まれる10年以上も前のことです。リアルタイムで彼の死に衝撃を受けたわけでもありません。小説家以外の彼の活動や発言を知っているわけでもありません。ましてや、私が読んだ氏の作品は、せいぜい10数冊程度です。そのような自分が、氏について、また、かの事件について文章を書ける立場ではないことは重々承知しています。

しかし、あえて、無謀にも、当時生まれてもいなかった20代の私が思うところの、かの事件の感想を書きたいと思いました。

きっかけは、

中川右介氏の『昭和451125 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(幻冬舎新書)です。

本書は簡単にいうと、帯にある通り、事件当時に百数十人の文壇・演劇・政界・マスコミ関係者が「何をし、何を思ったか」がまとめられたものです。内容は「当人が何らかのかたちの文章に書き、公にしている文献で、一九七〇年十一月二十五日に当人がどこで何をしていたのかが明記されているものを典拠」としています。それらの文献を引用しながら、前日から時系列に事件当時の日本が、簡潔にまとめられています。各人の反応や思いがテンポよく時系列に流れていき、臨場感を感じられる内容になっていると言えるのではないでしょうか。

筆者の脚色はあるとはいえ、基本は文献を参考にしているため、様々な立場の人の視点から事件が捉えられています。ネタばらしをしてしまうと、筆者があとがきに記しているように三島由紀夫の戯曲「サド侯爵夫人」の形式を模しています。要するに、本書に三島由紀夫本人は語られる対象としてしか登場せず、登場人物である百数十人の関係者の語りにより、かの事件が構築されていくという形式になっています。

ざっと、登場人物をあげると、

時の総理大臣佐藤栄作

当時の防衛庁長官中曽根康弘

警視庁長官後藤田正晴

警視庁のキャリア官僚でありながら三島と親交の深かった佐々淳行

西武百貨店社長堤清二

事件後市ヶ谷に駆け付けた川端康成(2年後に自殺)

同じく市ヶ谷に駆け付けた石原慎太郎

といった、そうそうたる面々に加え、

事件発生時にたまたま市ヶ谷におりバルコニーに立つ三島を目撃したという松任谷由美(当時16歳) 

事件を知り撮影を中止してしまった勝新太郎(当時39歳)

新宿の麻雀屋におり夕方になって事件を知り驚愕した浅田次郎(当時19歳)

奇しくも同日急性虫垂炎で手術をしていたマンガ家唐沢なをき

と様々な立場・想いの人物がそろっており、各人のその時を読んでいるだけでも興味深いものがあります。

これだけ多くの文献を集めた著者の努力もさることながら、これだけ多くの人から事件直後~今日までの間語られているこの事件の影響力の大きさが分かります。

ただし、ほとんど外国人の反応が挙げられていなかった点が、個人的には物足りなさを感じました。唯一、ニューヨークのIBM本社での会議で、彼の事件に関する話題で開始したという話があげられていますが、外国人からの関心が高かったのか、低かったのかあまりよくわからないものでした。内容は、会議に参加していた日本IBMの営業担当の伊藤氏が、役員たちの何故自殺をしたのかという問いに、オスカー・ワイルドの死と同じように文学的な自殺であったと答え、役員たちを納得させたというエピソードです。

なお、本書では、何故三島由紀夫がこのような凶行に至ったのかという点については、ほとんど論じられていません。ラストのエピローグにて、彼の死についての司馬遼太郎の解釈、司馬の解釈への石原慎太郎による反論、大江健三郎による三島論などが簡単にまとめられているが、著者は「情報が多すぎて、何が真実なのか分からない」と述べるにとどまっています。本書の目的は、はじめににもあるように「あの日、というかあの時代の雰囲気」を伝えることであることを考えると、それでよいのでしょう。

さて、最後に私個人の、かの事件に関する感想をまとめて終わろうと思います。

(事件に関する感想にとどめ、何故彼が死んだのかという理由は、棚に上げさせていただきます。)

率直な感想として、本書の半ば以降(第三章以降の事件後の反応)を読み進めるにつれ、陰鬱な気分になり、読むのを途中でやめてしまい事件について考えることから逃げたい気分になりました。これまで、氏の小説はいくつか読んでおり、好きな作家の一人です。かの事件についても、常識程度に理解はしているつもりでした。しかし、私自身の理解は、「三島由紀夫という小説家が割腹自殺をした」という史実を文字で認識し、その字の通りにほとんどフィクションのように理解しているだけでした。それが、本書を読み様々な関係者の体験や思いを読み進める中で、40年経った今日、当時の事件を追体験していくような感覚になり、急にリアルな出来事として理解された結果でした。

好きな作家の自殺という事実に加え、やはりその死に方があまりにも不気味です。簡単には受け入れがたいものです。(40年の月日と、情報の入手経路が第三者的であるため、斜から眺めたうえでの追体験にすぎず、客観的に出来事のみをみてリアルに引いてしまった感じはあります。)気分のすぐれないまま、司馬遼太郎の『殉死』や三島由紀夫の『豊饒の海(二)奔馬』に出てくる切腹のシーンを思い出してみても、同じ行為として受け取ることができなくなっていました。『葉隠入門』の中で「ただ行動の純粋性を提示して、情熱の高さとその力を肯定して、それによって生じた死はすべて肯定している」と常朝の死生観をまとめているが、彼のパフォーマンス的な死がここでいう純粋性を提示していると受け取ることは、今の自分には出来なくなっています。

40年目という節目を機会に読んだ本書により、これまであまり深く理解していなかったかの事件の片鱗を感じることができました。結果的に、三島由紀夫という人に対する印象や想いに変化はありましたが、新しい発見でもあります。少し時間を空け、他の書籍も読むことでまた別の発見を求めてみようと思います。

記;高木

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*参考*
中川右介『昭和451125 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(2010,幻冬舎新書)

三島由紀夫『葉隠入門』(1983,新潮文庫)